2016年11月17日木曜日

つぶやき 1

自転車で通勤している途中に気を緩めると止りたくなる程のなとても急な坂があって、そこを何とか登り切るのが一日の仕事の始まりである。
毎日毎日その坂を登る。それを繰り返していたある日、坂の途中のあるお宅の前に黄色いバイクが止まっている事に気が付いた。

以前は自分もバイク派であった。しかし、最初のバイクを十数年乗り潰した後は、加齢もあって風雨でも乗り続けるという気持ちが萎えてきてどんどんと排気量が小さくなり、今は50ccのスクーターである。(通勤はあくまで自転車であるが・・)

今のスクーターに不満がある訳ではない。
しかし、バイクに興味がない訳ではないが、大きなバイクに対する日本での環境はあまりにも厳しい。
車検制度、車検料金、駐車場問題、保険料・・。。
所有する事によほどの優越感でも見い出せなければとても維持出来るものではないし、所有してもサビと盗難の恐怖に戦い続けなければならないと言うまんじりともしない状況にさいなまれてしまうのだ。
だから、そんな考えもあってもう125ccを超えることはないな、と自分に言い聞かせていたのだった。
そんな考えを通勤途中に見た黄色いバイクが打ち砕いた。
若かった頃の気持ちに引き戻してくれたと言ってもいいかもしれない。
ジェイの友達とバイクの話をすることの楽しい時間がなかったらそんな気になることも無かったかもしれないが。。
もう一度見てみたいなという気持ちがあったが、しかしそれ以来その黄色いバイクを見ることはなくなってしまった。

きっとたまたまそこへ訪れたお客さんかもしれない。
残念な気持ちと共に、そのバイクへの興味も高まっていった。 、、、つづく。


夕暮れの大船観音:F20 油画

画塾の授業、モネのルーアン大聖堂にならって大船観音を描く。
自分の今の描き方から一旦離れてモネのルーアン大聖堂を観察するとそこから色々なことを学ぶことになる。
圧倒的に大きな大聖堂には手前の地上付近から遠く離れた大聖堂の塔のてっぺんまで大気、空気というか雰囲気というかなんか分厚いものが目の前にあって、それが水の中で物を見るようなモノトーン的な距離感を感じさせるのと共に、絵を支配するそのモノトーンの2・3色の色があることに気付かされる。
モネは同じ場所から33枚もの大聖堂の絵を時間を変えて描いている。共通するのは時間と共に変化する空と太陽が作り出す支配的な色の変化を、寸分違わぬ同じ構図で描いていることだ。
そのモネの大聖堂の絵から光と時間と大気が織りなす絶妙な色バランスを学ぶことが出来ただろうか。

で、大船観音である。
大きいがルーアン大聖堂程ではない。
がしかし、講師の先生がそれを選んだのには訳があるに違いない、と今までの描き方を捨ててモネをマネしてみることにした。
よし、挑戦だ。失敗してもいいと思った。

もちろんそこそこ大きいとはいえ大船観音はモネが描いたルーアン大聖堂ほどに高度感はでないし、大きいという雰囲気も感じられないかもしれない。
しかし自分としては暮れゆく陽光を受けた大船観音がこんな風になるのではないかという想像も込めて描くことにチャレンジできたことがとても良い体験であったと思っている。

先日、ハマ展から絵を搬出してきたが、根岸線で大船に近づくと遠くのうちから見えてくる大船観音の輪郭は空の色と同化してぼやけ、よほど目が良くなければ見落としてしまいそうなくらいあいまいになっていることに気が付いた。そこにはまさにモネの絵に共通する大気の距離感があった。


絵の元としてインターネットから拾った観音様の写真

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