体力が極端に落ちており、酷なようだが実家で朝昼晩とリハビリをしてもらったのだが、一旦落ちた体力がそうやすやすと回復するわけではない。
加えて足のおぼつかない母は夜間・日中を問わず病気のようにトイレに行くので目を離すことができず、早々にセンサーブザーを購入して設置し、トイレに行く際には付き添うようにしたのだが。
ある種、行動を制約されているような気にもなって来たのだろうか、毎回の付き添いに鬱陶しいとの感情を抱いても仕方がない。
家じゅうに手すりが設置されているから一人でも十分移動はできるが、高齢でおしもの弱くなっている母は、目を離すとあちこち汚す。
それを怒ったり叱ったりするわけではないが、「ほら、ちゃんとしてね」という指導の声がだんだんと大きくなることには自分ながら情けない。
なにしろ15分に一度が、10分、5分となり、庭仕事で駆け付け終わったあと軍手を付ける前にまたセンサーが鳴るということが繰り返されると、いいかげん少し座っていてちゃんと終わらせてほしくなる。
まぁ、場合によっては老化により人格が変わるほどの変貌に介護で精神的にくたくたになる人がいることを考えると、母はまだ楽なほうだが。
春になり、前回むしったばかりの雑草の庭がまた賑やかになった。母の庭には花が咲きほこり、池には水芭蕉も顔を出し始めた。
この水芭蕉の花が終わり、大きな葉っぱで池がいっぱいになったころまた新潟に来ることになる。
東スポーツセンターの桜が咲き始めた
もろともに あはれとおもへ やまざくら
ははよりほかに しるひともなし
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