チャリで行く湘南・鎌倉
2022年3月10日木曜日
帰宅
施設を退所した。
後戻りが難しい選択だが母にとって一番良いだろうと思う・・それが我々の思い込みだったかもしれないのだが。
実家への帰宅で少なからず笑顔を期待していた我々の望みはいっぺんに砕け散った。
頑なな母は固く口を閉じ、まるでなんて事をしてくれたんだと言わんばかり。
意志のハッキリした母は静かに終末を迎えるために口に入れるものにも気を使っているように見える。
母は今そこに向かってよそ見もせずしっかりと歩んでいる。
道は一つだけ。それに向かって進む母を自分は見守るしかないのだ。
2022年3月9日水曜日
春はもうすぐ
結構やばい状況になったとの事で予定を全て返上して帰省した。
そのかいがあって自宅の受け入れ準備も早めに進み、とんとん拍子で母の施設退所が決まった。
とは言えめちゃめちゃ不安。
近くに姉がいるし、小さなひ孫(母にとって)も毎日元気な顔を見せてくれる。それだけでも十分過ぎる程の支援ではあるが、介護の主体は自分一人。
老老介護の行き着く先にお決まりの状況があって、ひょっとして自分も?と言う不安は拭えない。
今はまだそんな状況でも無く多少慌ただしい準備段階を過ごしている。
暗くなれば簡単なツマミを作って缶ビール1本、焼酎のお湯割り1杯、最後に日本酒を好きなだけ飲むのがお決まりのパターン。
BSで先週見たぶらぶら美術・博物館(何故か地方の放送が週遅れになるのは5・60年前とかわらんナ〜)を見た。
好きな番組だから2回目だけど暇つぶしに丁度良かった。
その後レノンのイマジンにまつわる番組を見た。
この歌が世界中に広がれば戦争など無くなるのに。自分は無力だけど。。
今は母の事に力を尽くそう。
2022年3月5日土曜日
しばらく帰省します。
依然としてコロナの恐怖に怯える世の中。
人として生まれ、死にゆく者のその環境までコロナの恐怖によって狂わされている。
あえて自分はそんな社会にNO!と拳を振り上げたい。
絶対とか完璧とかそんな極端な物はあり得ないし必要ないと思っている。全員一致などあり得ないのだから。
上に登る人あれば下る人もある。右向く人あれば左も。だから人と人とが顔を合わせる事ができるし出会う事が出来る。
皆んなが同じ方向を向けばただの兵隊になってしまう。そんなのまっぴらだ。NOだ!
自分は今このコロナ禍にある社会の方向性に断固反対する。死ぬまで家族にも会えないなど施設としてはしようがない選択かもしれないが、自分がそれを容認してしまったら自分が人としての道に反するとしか思えない。
しばらく新潟の実家に帰ります。
施設から母を迎えるために。
自分が人として、母の子として在るために。
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