2018年4月30日月曜日

失われる「報道の重み」

このところ一斉に報じられているある事件に違和感を憶えているのは自分だけだろうか?
容疑者を「メンバー」という言葉で置き換え、おそらく行き着くところまで行ってしまったからこそ警察沙汰になっているその事実を「キス」といういかにも何でもない軽いことに摩り替えようとしている。

それもありとあらゆる報道機関で一斉に同じこととして報じられ、異なる事実の発掘はまったくされない右にならえ式の報道方式にはちょっとどころか呆れてしまう。
いったい真実を追求する日本のジャーナリズムの精神はどこに行ったのだろうか。

もうこの国にジャーナリズムの精神など無い。だから国民に真実が伝わらない。
それが少しずつ浸透していくと、真実が分からなくてもテレビ・ラジオやネットなどその他の通信手段で 伝えられることを鵜呑みにしてしまう風潮が広がっていく。

あぶないぞ、右に行け・右だー!・・だれも疑わずに一斉に右に行く。
いやな時代になってきたもんだ。

帰省したら丁度近所のお祭りだった。
子供のころは手を引かれて来たものだったが、今度は自分が手を引いてお参りを。

階段や足元の不安なところから歩きやすい屋台の通りに出ると母は以前のように一人で元気に歩き出した。 

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